豊洲移転問題で、9回目の水質検査で有害物質が検出されたらしい。

前回までの数値が何だったのか。いい加減に調査していたのではないか。市場関係者が怒るのも無理はないだろう。

専門家会議では地中の問題であり、地上では問題ないとされていた。たぶん大丈夫だろうと思うが、市場関係者が受け入れるかどうかは別問題である。心情的に受け入れることは難しいだろう。

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数値による判断

今回の問題でクローズアップされているのが数値化された検査データだ。環境基準値を上回る数値が検出されたことが問題となっているが、この問題はどの分野でも日常生活でも起こり得る問題ではないだろうか。

我々が社会生活を行う上で評価基準となるのが数値だ。会社への貢献度を測る指標として売上が数値として判断されたり、学校では5段階表示された数値で成績の優劣が判断される。

また、その人を測る数値として年収や友人の数を評価基準にしている人も多いだろう。

数値が判断基準になるには理由がある。それは分かりやすいからだ。一目瞭然で優劣の判断を付けやすいことから、社会生活とは切っても切れない評価基準となったのだろう。

数値だけに頼る危うさ

しかし、数値データを過信することの危うさを豊洲移転問題が

今までの良いデータは何だったのか?このような意見が多かった点が数値だけの評価が危険であることを物語っている。

今回の水質検査で悪い結果を提出した検査会社は、先の7回の調査とは別の会社が実施している。悪い結果が出た際、社内でも議論になったことだろう。まずは悪いデータを測定者自身が疑い、データの信憑性を確認する作業に入るだろう。地下水のくみ上げ方に問題はなかったか、検査工程に問題はなかったか、その他の点で、以前までの調査方法との相違点などを入念に洗い出したと思う。その結果を踏まえて悪いデータを提出したと思う。

悪いデータを公表することは良いデータ以上に労力が必要になるし、精神的にも辛い作業になる。今回の水質データ公表においても関係者は苦慮したと思う。

そんな苦労とは裏腹に悪い数値として今回のデータも取り扱われている。そこで問題となるのが数値における判断基準である。悪いデータが出て初めて良いデータが疑われる。水のくみ方の問題や検査方法の問題など悪い数値が出て初めて議論の対象となった。

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良い数値は疑え

しかし、それら検査方法の問題を指摘している人であっても、良いデータが出た時に数値を疑った人はいなかったように思う。

どちらも同じ数字であるにも関わらず。

良い数値や自分が求めている数値が出てきた時ほど疑った方が良い。それは昔から言われている思うが徹底できている人は少ない。良い数値をわざわざ覆すような行為になり、悪い要因が現れた場合を考える事が怖いのだ。そんな不安な状態になることを無意識に避け、思考停止させる作用が良い結果にはあると思う。

ある程度の事は数値で判断することも仕方なく思うが、数値に対する疑いの目を持つことが必要であることが今回の件で改めて世に広まった感じだ。

数値は検証して精度上げてこそ初めて「使える数値」になるのだ。

こんな記事を書いていて思い出したことがある。学生だったころ悪い成績を親に提出する時は緊張した。それは今の学生でも共通しているだろう。悪い成績の時だけ子供を指導するのではなく、良い成績の時に結果を検証するよう心がけると、子供の精神も落ち着くのではないかと思う。

我が家では成績表すら見せてくれないので、検証できないのが残念である。

良い数値であることを祈ろう。

 

以上、豊洲移転 水質検査に学ぶ数値による判断の危うさ。良い数値ほど疑え!でした。