東京オリンピック。会場がなかなか決まらない。

各競技団体が東京都に対して会場に必要なものを提言している。

会場に必要なのは「レガシー」だそうだ。後々にレガシーとなるような施設が必要らしい。

レガシーと言っても4WDの車の事ではない。

因みに、「レガシー」それとも「レガシィ」、どちらが正しい呼び方なのか?

まあ、どっちでもいいだろう。

レガシーの意味とはなんだろう。調べてみると「遺産」とのこのことだった。

遺産とはどのような意味なのだろうか。調べてみると、先人が残した財産のことだとか。

目次

遺産の価値は

財産として残れば良いが、負の遺産として残る場合もある。

競技団体が主張しているのは、当初の計画通り、東京に立派な施設を建築してほしいとのことだ。地方の施設を改修して有効活用することは望んでいないようだ。

競技団体として新しい施設を作ってもらい「レガシー」として残すことが一番重要なのかもしれない。これが俗に言う「アスリートファースト」なのだろうか。

競技団体としては、東京五輪は専用の競技場を造る絶好の機会である。この機を逃しては二度と専用競技場を作ることなどできないだろう。

しかし、競技場の建設には多額の予算が必要である。建築費は東京都であったり国が負担することになる。いずれにせよ、都民や国民の税金が使われることになる。

レガシィは必要なのか

当初の予算から大幅に上昇した建築費に「レガシィ」など必要なのか。そんな疑問もわいてくる。箱ものなど作っても大概が負の遺産となってしまう。それは全国であまり使われていない施設を見ればお分かりだろう。そんな無用の長物になりかねない施設に多額の税金を投入することが「レガシー」なのか。そんなにレガシーが必要なら、心の残る試合をすれば良い。それが見ている人に「レガシー」となる。心に刻まれた試合は子や孫にも語り継がれ、歴史に残るオリンピックとなるだろう。

それとも当初の計画通りの予算をオーバーした立派な競技場でないと、心に残る試合はできないのだろうか。日本の競技者はいつの間に甘い考えになってしまったのだろうか。

予算を掛けない五輪

東京オリンピックはコンパクトなオリンピックではなかったのか。それが多額の予算が必要になり、近隣地域の競技場改修などが候補に挙がってきたのではないか。見る側としてはどこでやろうが関係ない。面白い試合を見せてくれたらそれでいい。オリンピックの記憶など1カ月もすれば薄れるのだから、そんなものの為に多額の予算を使うことが馬鹿げている。冷静に考えれば4年に一度のイベントに多額の予算を使う事が良いことなのか?

知人の結婚式を例に挙げればよいだろう。一生に一度ならやらなくても良いのでは、離婚する可能性もあるし。最近では地味婚が流行っているし、結婚式を挙げないカップルもいる。それが世の流れではないか。

地味なオリンピック、ジミリンピックで一国民としては十分である。

これからは新興国でもオリンピックが開かれるだろう。そんな時に莫大な予算などかけて競技場など造ることはできない。今以上に低予算のオリンピックになる。その先駆けとして東京オリンピックが模範となる競技場造りを行えば良い。それが、低予算オリンピックとして後世に語り継がれるレガシーとなると思う。

遺産問題はもめる

レガシーと言えばカッコよいが、単なる遺産問題である。

遺産問題はどの家庭でももめる。タダで資産を手に入れるチャンスだからだ。自分たちで稼いだ金でもないのに好き放題言ってもめる。規模の大小にかかわらず、遺産はもめる。そんなもめ事を見ていると面白い。でも悔しい。我が家には受け継ぐ財産が何故ないのだ!レガシィが欲しい。私にもレガシーが必要だ!